【仕事をあまりしなかった僕の20代】仕事が全てではないのはわかるけど…

【仕事をあまりしなかった僕の20代】仕事が全てではないのはわかるけど…

みなさんこんにちは、台湾で applemint というデジタルマーケティングの会社の代表を務める佐藤  (@slamdunk772) です🙃

今日は、僕の20代の働き方についてお話ししたいと思います。

メディアではやれ、「Z世代はプライベートを優先する」「仕事に対して真面目ではない」みたいな報道をされていますが、振り返ってみると、僕も20代の頃はかなり”ザ・Z世代”的な働き方をしていたと思います😅😅

僕は高校時代をアメリカで過ごし、レストランやスーパーでアルバイトをしていました。オフィスで働いた経験はないものの、サービス業の場で、時間になればきっちり帰るアメリカ人の働き方を目の当たりにし、それが僕にとっての「仕事とはこうあるべき」というお手本になった気がします。

定時で仕事を終え、家族や自分の時間を大切にする考え方がとても好きで、新卒で入社した時から、僕はすでにワークライフバランスを意識していました。

そんな僕は、いわば「定時の鬼」で、とにかく時間内に仕事を終わらせて帰ることを徹底していました。
ただし、時間内に帰ったからといって、帰ってから遊び呆けたり、ダラダラとドラマを見ていたわけではありません。

帰宅後は、ひたすら自己投資に時間を使っていました。
今日は、そのあたりのお話を少しだけご紹介したいと思います。

僕の20代の話

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今、ワークライフバランスや「仕事よりプライベートを優先する」という風潮があると思います。

また、そんな風潮に対して、仕事で頑張ってきた世代の方々の中には、「20代の頃から楽をしていたら、後で絶対に損をするよ」と考えている人も多いのではないでしょうか。

僕は個人的に20代は仕事をしまくらなくてもいいかもしれないけど、自己投資だけはやめない方がいいと思っています。

現在、僕は38歳になります。20代の頃の僕は仕事がとにかく大嫌いで、20代後半までずっと仕事をサボっていた気がします。

新卒で入社したメーカーでの仕事は、主に営業のサポート業務でした。今でこそ「大きな企業では下っ端に興味深い仕事なんてそもそも回ってこない」ということは理解できるのですが、当時の僕はそんなこと全く理解できず、とにかく仕事が嫌いでした。

会社は典型的な年功序列企業で、ブラックな部署も結構ありました。ただ、幸いなことに、僕は比較的ホワイトな部署に配属されました。

ホワイトとはいえ、全く残業がなかったわけではありません。周りの先輩社員たちは、結構遅くまで残業していたのを覚えています。

僕のいた部署は、社内でも珍しく売上の半分近くが海外向けという部署だったため、海外の取引先の時間に合わせて残業している社員が多かった印象があります。

そんな中、僕はほぼ残業をしていませんでした😅

部会では毎月、部長から各自の残業時間が発表され、「残業を是正するように」と指示が出ていました。

ある時、周りの先輩社員や同期の残業時間が「40〜50時間」と発表される中、僕はなんと「40分」と言われたことがあります。

あまりにずば抜けて残業時間が短かったので、周囲から呆れたような目線を向けられたのを今でも覚えています。

仕事ではちょくちょくミスはあったものの、与えられた業務はきちんと終わらせていました。 だから本当は、残業をせずに会社のコスト面で貢献しているはずなのに、その当時は「お前だけいいよなー」といった目で見られていたのを覚えています😱😱

残業していない = 仕事をしていないではない

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僕は仕事が大嫌いでしたが、給与をもらっている以上はきちんとやろうと心がけていました。ですので、サボっていたから残業が少なかったわけでもなく、人として扱いにくかったから仕事が回らなかったわけでもありません。

ただ単純に、残業時間が少なかっただけです。

昨年、東京に出張した際、以前よくランチをしていた3つ上の先輩社員と久しぶりに食事をしましたが、僕に対して仕事をしてないなどの悪い評価の話は特に出ませんでした。

繰り返しになりますが、僕はとにかく残業が嫌いでした。その理由は、家に帰ってから中国語を勉強するためです。そして、残業をしないために、あらゆる工夫をしていました。

たとえば、僕は必ず昼寝をしていました。昼寝をしたときとしなかったときでは、午後の生産性と集中力がまるで違うことに、早い段階で気づいたからです。

当時の会社の昼休みは12:10〜13:00という短いものでした。外食してしまうと昼寝する時間が取れないため、意地でも弁当を作るか、買ってきて社内で食べるようにしていました。

また、当時は昼寝に対して「サボっている」というイメージが強く、周囲もほとんど昼寝をしていませんでした。昼寝をしている僕をジロジロ見る人もいましたが、僕にとって大切なのは残業をしないことだったので、まったく気にしませんでした。

さらに、部会では常に、部会後にどの仕事をどの流れでするか常にイメージトレーニングをしてメモを取っていました。正直、入社1〜2年目の若手社員にとっては、部会の話題の9割は自分に直接関係のないものだったので、少しでも時間を有効に使うためにそうしていました🙂

あ、部会後にハイペースで仕事をこなすために隠れて寝ることもありました👊👊

1-2年目からこんなことをしていたので、中々ナメた社員だと思います…😞

あと、朝オフィスに着いてからは、仕事の順番や流れをきちんと決める作業を徹底していました。

僕はその当時ヨーロッパ市場を担当していましたが、ヨーロッパ支店が動き始めるのは日本時間のだいたい17時以降でした。
僕の前任者たちは、そこからドイツ支店やヨーロッパの顧客対応に追われ、毎日のように何時間も残業をしていたと聞きました。

しかし僕は、17時の時点でヨーロッパ側から問い合わせが来ないように、朝から猛烈な勢いでヨーロッパ関連の仕事を片付け、彼らが朝出社した時に確認事項が多いようにしていました。

もしも彼らが出社する前にヨーロッパの仕事を片付けなかった場合、帰る間際に「〇〇どうなっているの?」「〇〇早くしてよ!」と連絡が来て、残業になることを知っていたからです。

午後はどうしても社内会議や突発的なトラブルで仕事が中断されることが多かったため、午後の時間は国内工場とのやり取りや交渉、リエゾン業務に充てるようにしていました。

そんなに定時で帰って何をしていたか?

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ではそもそもなぜ定時で帰りたかったか?僕はメーカーに勤めていた当時、定時後の時間はほぼ全て中国語の勉強に充てていました。

僕はとにかく日本から出たくて必死でした。入社した時点で、できる限り早く日本から出るために、当時覚えたてだった中国語のスキルをさらに高めて、中国語関連の仕事をするためでした。

その頃は、いずれアメリカでチャレンジするために、当時盛り上がっていた中国市場で活躍できるスキルがあればアメリカでも活躍できるだろうと思い、アメリカで生き残る武器が欲しくて中国語を学びました。

そのため、終業後の時間だけでなく、朝の通勤時間も中国語に捧げていました。

当時の勤務先は飯田橋だったのですが、アパートは三鷹を選びました。三鷹駅なら総武線で座って飯田橋に行けるからです。
朝は中央線ではなく総武線に乗り、早めに駅に着いて2本ほど見送って座席を確保し、寝るのではなく、YouTubeで中国語のバラエティ番組を見て、わからない単語をすべてメモしていました(満員電車で立っているとメモれないため)。

定時後の電車の中では、朝の動画の続きを見たり、席が空いていれば座って夜の勉強のためにちょっと寝て脳みそを休ませるようにしていました。

ちなみにその頃は週末も中国語を勉強していました。先日ハワイで友人に会ったのですが、この友人は、実は東京で2年働いた経験があり、僕が東京にいた時期も東京ににいました。

僕は全く覚えていないのですが、ある時その友人と僕の家で夕ご飯を食べることになったらしく、僕は彼女に「ちょっと待ってね」と言って、休憩と称しておもむろに中国語の動画を見始め、勉強を始めたそうです。

マジで覚えておらず…先日会った時にこの話を聞いて、自分で自分のことをやべー奴だと思いましたね🙂😅

なぜこんなに中国語を勉強していたかというと、HSK6級合格のためでした。HSK6級に受かれば、中国語を生かした仕事に就けると思っていたからです。当時盛り上がっていた中国市場の知見を得て、そこからアメリカに行ければと思っていました。

しかし、実際に中国語を生かした仕事に就くのが難しいことがわかってからは、目標を台湾での大学院進学にシフトし、大学院の準備も始めました。

そうすると、中国語の勉強に加えて大学院の準備も必要になり、時間はいくらあっても足りず、僕は切実に残業をしたくなかったのです。

今になって思うこと

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よく「20代で働かなかった奴が30代で急に働けるわけない」と言われます。

これは結構その通りな気がします。

僕は30歳で起業したとき、長時間労働にはあまり慣れていませんでしたが、長時間の勉強には慣れていたので、勉強の延長で割と長時間働くことができました。

また、20代の多くを中国語の習得に費やし、台湾へ渡り、シンガポールにも半年間留学できたおかげで、若い頃にいろいろな刺激を得ることができました。

シンガポール留学時代には、アメリカのトップ大学から来た留学生たちが頻繁に東南アジア各地へ旅行している姿を見て、僕も刺激を受け、タイ、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、マレーシアへ一人でバックパッカーのような旅をしてみました。

そのおかげで、若くて時間があるうちにいろいろな世界を見ることができました。
中国語がしっかり身についたことで、現在台湾では従業員とのコミュニケーションに困ることはなく、メディアにも出演でき、メディア出演を通じてテレビ局や記者さんとの知り合いも増やすことができました。

20代でワークライフバランスを重視する姿勢に、僕は否定的ではありません。なぜなら、僕自身も当時は同じような考えを持っていたからです。

ただし、ワークライフバランスを意識して、余った余暇時間をゲームやドラマといった非生産的なことに費やすと後で取り返しのつかないことになる気がします。

もちろん、それでも本人が納得していれば問題はないと思います。

ですが、山口周さんが著書『人生の経営戦略』で提唱するウェルビーイングを本気で目指すなら、経済的な自立は必須です。そのためにはあまりある20代の時間をひたすら自己投資に使うといいと思います。

実は僕はその当時自己投資という概念はなく、ただひたすら海外へ出たいという気持ちで頑張っていたら、いつの間にか今に繋がっていたって話です。

最後にこのブログをまとめると、ワークライフバランスを意識するのは、みなさんの自由ですし、仕事を定時に終わらせることは、実は経営者にとってもありがたいことであり、素晴らしいことだと思います。

重要なのは、仕事が終わってからの時間の使い方です。
余った時間で動画配信をしてもいいですし、語学を学ぶのもいいでしょう。金を貯めて海外の大学院へ行ってみるのも、素晴らしい選択だと思います。

自己投資を続ければ、僕のように10年後に大きなリターンを実感できる可能性があります。

もちろん、自己投資が必ず実を結ぶとは限りません。ただ、非生産的なことに時間を使っても得られるリターンは限られているので、それなら自己投資にチャレンジして、リターンに賭けてみる方が、よっぽど意味があると僕は思っています。

以上、applemint 代表の佐藤からでした!

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