こんにちは、台湾でウェブマーケティングのサービスを提供する applemint 代表の佐藤 (@slamdunk772) です。
最近会社の印鑑の変更が必要になりそうなのですが、台湾では印鑑が変わると日本同様色々面倒です。
まず、銀行で印鑑の変更手続きを行わなければいけません。必要に応じて契約書や様々な書類の見直しも必要でしょう。
そして僕は印鑑を変更しないといけない過程で、ふと思いました。なぜ日本や台湾では印鑑がこんなに重要視されているのかと。
アメリカでは基本的に書類の署名は全てサインで済みます。
そんなことで、今回のブログではなぜ日本と台湾でここまで印鑑が重要視されることになったのか書きたいと思います。
日本の印鑑の歴史
僕の中国語の Google リサーチ能力が低いので、まずは日本の印鑑文化がここまで普及した背景について書きます。
日本で印鑑が使われ始めたのは奈良時代だそうです。当時は印鑑の製造から販売、そして所有まで厳しく制限されていたため印鑑は誰もが手軽に持てるものではありませんでした。
それが一般の庶民の間で印鑑が普及し始めたのは、 1873年10月1日に『太政官布告』という制度が制定されてからと言われています。
これにより、何か重要な書類に署名するときは、署名の他に実印で捺印をすることが法律で定められました。
つまり印鑑が普及されたのは明治時代からということです。そして印鑑が必要になった理由は法律で義務付けられたためです。
実印は署名を補うために必要だったのです。
しかし、そもそもなんで署名だけじゃ不十分だったのでしょうか?
実印はそんなに必要だったのでしょうか?
なぜ指紋ではなくて、実印が必要だったのでしょうか?色々リサーチすると、署名する際に使う『名前』が実は重要なことであることに気づきました。そこで次に名前 (名字)についてちょっと書きたいと思います。
名字ができた背景
名字が出来た背景を簡単に解説します。名字は平安時代頃に、特権階級や武士をそれぞれ区別するために始まったそうです。そのため名字は元々特権階級のものでした。
それが室町時代あたりになると、農民による一揆(現代でいうストライキ)が頻発して農民が影響力を持ちました。
その時農民は「俺らにも名字をよこせ」みたいな主張をしたことで、名字が農民階級に広がったようです。(一部正確さよりわかりやすさを重視した表現にしています 苦笑)
関連記事:名字の歴史と由来について
しかし安土桃山、江戸時代になると幕府の影響力がまた強くなって、名字を名乗ることは特権階級の特権と意識され始めました。これにより庶民は名字を言えなくなりました。
それに追い打ちをかけるように徳川幕府の時代、名字 = 身分の象徴となり『苗字帯刀』の禁令、つまり特権階級を除いては苗字/名字を公の場で名乗ることができない制度ができました。
関連記事:苗字帯刀について
流れが変わったのは明治時代です。明治維新が起こると明治政府は、全国民の把握および戸籍編成の必要性もあって全ての国民に名字を持たせることにしました。
ちなみに江戸時代も名字を持つことは許されていましたが、公で名乗ることは出来なかったようです。
苗字と名字の違い
ついでなので『苗字』と『名字』の違いを説明します。
名字=地域や所有地に由来する言葉。武士同士で区別をつけるため、自分の支配下にある土地を使って武士がつけ始めたことに由来。
苗字=血統、血族に由来する言葉。江戸時代に出来る。
関連記事:苗字と名字の違い
明治以降の名字
明治時代に名字を公で名乗ることができるようになったのは歴史的な出来事だったのですが、その当時は名字の登録が普及しなかったようです。
その理由に一般庶民の多くが名字を登録することで身分がバレて新たに課税されるんじゃないかと心配したためと言われています。また、この時代にはそもそも名字を持っていなかった人も多かったようです。
そこで政府は名字の使用と登録を義務付けました。名字を持っていない人は地名や地形、職業を基に名字を作りました。
また、政府は違う名字を複数登録することを禁じました。そのため、一度登録した名字の変更は禁止になりました。この時に実印も同時に普及しました。
関連記事:地形由来の名字
実印の目的は公式な書類に署名をしても、中には名前を偽る人がいたためそれを見破るために作られたものだと考えられます。
名前は一度役所に登録すると変更が効きませんし、実印は役所で登録した名前を基に作られます。そのため署名時に印鑑を同時に捺印することで、名前に偽りがないことを証明させていたと思われます。
印鑑の意義
つまり実印が必要だった理由は署名している会社や個人が本人であると保証するための手段だったと言えます。
そして僕は思いました。
『そしたら今の時代印鑑いらなくないか?』と
何故なら今の時代は実印以外に、署名した会社や個人が本人であることを特定できる術がいっぱいあるからです。日本ならマイナンバーを照合すればいいでしょう。中国なら顔認識とかで出来そうです。
また、今のテクノロジーは進んでいて、署名した人が誰かなんて字の太さとかで認識できます。つまり現代における印鑑ってよくわからないけどみんな使っているし、とりあえず必要みたいなものという位置付けです…..
台湾における印鑑
台湾における印鑑の歴史を調べましたが、特に見つかりませんでした(苦笑)すみません。ただし、どうやら日本統治時代の流れをそのまま汲んでいるということは分かりました。韓国も同様に印鑑を使っているようですが、これも日本統治が影響していると言われています。
つまり現在の台湾における印鑑の風習は日本統治時代の文化が残っているだけと思われます。なので台湾も日本と同様に「なんかわからないけどとりあえず印鑑を押す」文化なのです。
しかし台湾も日本同様に印鑑の文化に疑問を持つ人がいます。ウェブ上で見つけたのでご紹介したいと思います。内容は、「なぜ署名だけではダメなのか?」です。
関連記事:為什麼一定要帶印章?我簽個名不行嗎?(中国語:なんで印鑑を持っていかないのダメなの?サインじゃダメ?)
記事によると台湾の民法3条には公式なドキュメントに署名が必要な場合は『署名』することが原則として最優先され、署名できない場合、印鑑を用いることができるみたいに書いてあるようです。
つまり法律上はすでに「署名すればいいよ」になっているのです。従って記事を書いた書いた方も僕と同じ意見で、印鑑は必要ないと主張しています(笑)
むしろ印鑑の方が本人の照合が難しいと言われています。現在のテクノロジーを駆使すれば、署名から同一人物を認識できる確率は90%以上で、逆に印鑑はレーザー印刷の技術のせいで模倣品を作ろうとしたら 20ミクロンの誤差の模倣品ができてしまうようです。
結論
僕の結論ですが、今の時代印鑑は必要ないと思っています。
風習として残っているだけです。印鑑がなくなればどんな産業がなくなるかはわかりませんが、少なくとも象の乱獲だって無くなりますよね?
こんな言い方が正しいかはわかりませんが今後印鑑の格式が下がって、印鑑がもはやファッションアイテムのようになればもっとカジュアルで面白い形の印鑑が出てくるのではないでしょうか?
今回の記事を通して改めて当たり前を疑うことの大事さに気付かされました。
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